no.34 瞳

Chair of Sandal-Wood(チェア・オブ・サンダルウッド/白檀の椅子)


とうとう一日をまたいでしまった。
マルタイ(追尾対象者)を尾行しつづけ、
繁華街の片隅、なんら進展の無い時間を運転席に座り、
無為に過ごす。
 

こういう時間に、何かを食べるって良く出来るわよね。
集中力が殺がれてしまう。
私には昔のデカ仲間みたいなことは出来ない。 


浮気や素行調査、盗聴やら汚職疑惑、売春強要に恐喝脅迫。


仕事は何でも飛び込んでくる。選り好みをしなければ。
依頼者が本当に望んでいるものには目をつぶり、
彼らが表面上、調査をしてもらいたがっているものだけを
提示すれば、私の仕事は黒字転換。


人の行動・行為と、そこから推し量れる感情を覗き見すること。
綺麗な顔の裏側で、汚泥を糧とする蠢く欲望。  
 
 
私が警察を辞め、探偵の職に就いたのは
「起こるかもしれない悲惨な犯罪を未然に防ぐ」行為に
貢献できると思っているから。


民事不介入の精神を根底に持つ警察機構は、
何事かが起こらねば、その権力を鉄槌として振りかざせない。
個人情報をダイレクトに知る権利、
誰かを裁くことの重さを知るからこそ、
彼らの動きは愚鈍で後手に回りがちだ。



・・・姉さんは、まっすぐだし、貫く強さがあるのよ。
むざむざ、誰かが怪我をしたり、死んだりしなければ動けない場所で
それでも自分の正義を貫けるなんて、やっぱり強くなきゃできない。

私は何かが起こる手前で、絶望の種を握りつぶしてやりたいの。
それが新たな修羅を運ぶ事になったとしても・・・。
だから、料金回収に繋がらないのよね。
この性格、何とかしないと、こっちが干上がっちゃうわ。


 
音楽すらかけることが出来ない。
盗聴電波に周波数を合わせた無線からは何も聞こえない。
身体の内側からにじみ出るリズムは8ビート以上。
指先がハンドルを叩き、心拍数よりそれは早いのだと分かる。


気配が、ある一点から発せられる。
自分にピシリ、と刺さってくるような切っ先の鋭いそれに
即座に視線を合わせれば、自分の心臓が大きくバウンドする。

 
路地の暗がり、
意識しなければ人が立っているのも見逃されるくらい
ぎりぎりの輪郭を保ってこちらを伺う、愛しい男の影。



”麗香、仕事中か?”

”ええ、そうよ。リョウはお元気?”

”何か手助けは必要か?”

”とりあえず今は要らないわ”


 
言葉ではなく、瞳で会話をする。
私の矜持が、かろうじて揺らぐ心を抑え、
冷静さを保って相手に意思を伝える。 
  

彼はゆっくり頷き、闇に輪郭を霧散させていった。 


本当は、傍にいて欲しい。
相手の一手待ちの、長い時間を、忍耐と緊張だけではなく
ほんの少しの安らぎと共に、過ごしたい。


けれど、それは望めない。彼には帰りを待つ人が居る。
私と出会う前に、座席は埋められてしまった。 


器用で本当は優しい彼のことだから、
私がひざまずき涙を浮かべ守護を求めれば、
私は彼の心の中の列席を許されるだろう。 


でも、それはしたくない。
彼女が居る限り、永遠に望めぬ唯一の芳しい王座。
檻に閉じ込められるがごとき、永遠の強固な守護。
望んでいるのか、イヤなのか、それすらも分からぬ
私の女のプライドと職務への誇り。

 
愛じゃない。
人のずるさや悪賢さを、
目の当たりにして感じてしまう自分の非力さや寂しさを、
全て引き受けて守ってくれる、強大な力への庇護への渇望。
たぶんそれよ。


頭で心を判断し、そして結論を定める。
誰とも一緒に居ない、孤高の彼に一時出会ってしまったことで
かっと熱が上がったような額に手を当て、目をつぶる。
どれくらいそうしていたのだろうか。
 


かちゃりとドアロックがはずされる。
すわ、襲撃かと身体を硬直させるより早く、
体中に感じる、ぬくもりと男の匂い。
自分の身体の細さを感じてしまう、大きな体躯。
   


抱きしめられる。心が捕らわれる。


 
「おめえ、無理しすぎなんだよ」

「・・・なんのこと」

「姉貴にそっくりなのな、ホント」

「・・・うるさいわね・・・
 無駄口叩きに来たんならさっさと帰りなさいよ」

「そんなところもな。
 意地はらねえで、助けが必要なら先に言え。わかったな?
 近々、麗香、おまえに頼まなければならんことが出来そうだ。
 よろしく頼むぜ」  



香さんには出来ない、私にしか出来ないことで
彼が私を必要としてくれている。
 


「・・・先立つものが無くちゃ、動きようが無いわね」

「price to pay? take this.」
(いくらなんだ?とりあえずはコレにしとけ)



唇をふさがれ、激しく吸われる。
差し込まれる舌、荒々しく口中を暴れ回る。
粘膜を通して自らの心を喰い千切られる。
何も考えることが出来なくなる。
私はただの獲物に変わり、捕食される快感に浸る。


身体が離れると同時に、口元から流れる細く光った糸が
私たちの間に生まれ、一瞬で消えていく。
   
 
彼はもう一度軽く私を抱きしめると、今度こそ本当に去って行った。




 
報われぬ煉獄の中で

自ら翼を削いだ者

飛び立つことも出来ず

重い鎖に自らを縛りつける

地にへばり付き見上げる先には

長く高く聳える

黒き螺旋階段が導く

天上にある、たった一つの白檀の椅子
 




 
私はそれを脳裏に思い描き
剥げた口紅をぐい、と手で拭った。
マルタイが消えた店の入り口を凝視し、自分の仕事に戻る。







--------------------------------------------------------------

060905





Copyright 2007 Shino Inno Some rights reserved.

powered by HTML DWARF