no.31 情報提供者

L'estate d'inferno citta'(summer of hell city/煉獄の夏)



 照り返しの厳しい、アスファルトの上に立ち昇る熱風。
 通行量の衰えることの無い、国道20号線に靖国通り。
 ここを歩くものは、誰も彼も幻のような楼閣を追い求め
 そして自らがどろりとした黒衣を纏う者となる。

 女たちが肌をさらけ出し
 腰周りを強調させたスカートもはためく。
 なまめかしい香水と唇の光の輝き。
 男たちの喧騒に原色の看板は
 この街に降り注ぐ陽光すらも跳ね返し、
 都会の夏の厳しさを物語る。

 汗ひとつかくことも無く長袖のジャケットを羽織る男は
 それだけで異形として目立つが、
 その頭は雑踏ひとつを軽く睥睨する高さに落ち着く。
 しかしそれを見上げる者は視線を合わせることすら難しい。

 もしも見詰め合ってしまったら。













 「香ぃ、俺ちょっと出てくるわ。」

 「え?珍しいわね、あんたがそんな風に言うなんて。
  いつもは自分勝手にふらりと消えるくせに。
  ナンパは絶対に成功しないからね、あたしが阻止するわよ!」


 怒気の中に阿吽の呼吸を見出しつつ、
 日常を演じる道化カードを今日も選択する。
  

 「……ボクちゃん、もっこりちゃんたちの薄着で
  目の保養してくるぅ♪
  おまえは掲示板でも見て茶でもするんだな、
  下手にふらふら歩き回ると、
  オトコオンナは暑苦しくてたまんねーんだからさ」


 香が投げたミニこんぺいとうを避け、
 リョウは足取り軽く新宿の街へ出る。
 長躯から投げ出される歩幅は広く、そして音を立てることが無い。


 地上の持つ熱がそのまま篭り、サウナのようになった地下道を抜け
 御苑に向かう通り、ギラつく陽の光を避けるようにして
 ビルの陰に溜まる男たちの元に彼は向かう。
 この街は無機質な建築材の合間合間に暗い澱みがある。
 それは日中でも変わりが無く、
 そんなところに人は無意識にでも近寄ることは無い。


 禁忌の薫香をものともせず、彼はしゃがみこむ人々の傍に
 立ち止まり、煙草に火をつける。


 「よっ…。さすがに8月も盆に入りゃ、暑いな。」


 「ああ、リョウちゃん。
  そろそろ俺にもお迎えが来そうだ、ハハ。」


 街中に点在するホームレスの情報は、流れる人々の動線の中で
 小さな歪みを敏感に捉えるためのアンテナだ。
 ひとところに立ち止まり、同じ景色を静止画とする
 彼らの視界で描かれる絵画の黒点は、
 その場所を通過点としてしか捉えない人間には
 見出すことが出来ない。


 聳え立つビルの入居テナントや企業、
 重役を乗せるハイヤーの流れ、従業員の表情、
 足運びなどからでも、内部事情を読むひとつの指針となる。


 夏期休暇を一斉に取らなくなった事により
 この人が少ないお盆の時期ですら、何某かの動きがあると、
 その男はちらりとリョウに直感を披露する。


 値段にならない情報にも、リョウはプライスを惜しむことは無い。
 ただしそれはリョウ自身の価値判断に依る値付けであり、
 受け取る側には値上げ交渉の権利など望むべくも無い。


 弱者の生き抜く術は
 「誰が強いのか」
 「そして誰の影に居れば最低限の生命保持が可能か」を
 見極める心眼にあり、
 男は裏稼業に関わる者なら、名を知らぬ人間の居ないリョウに対し
 全幅の信頼を置いていた。


 「この時期に臨時株主総会開催の動き…?総務部長がねえ…。
  判った、サンキュ。」
 

 手に握らされた紙幣の枚数は過不足無く、
 それ故に男は時折訪れるリョウを、再び此処で待つこととなる。


 「あ、そうだ。塩舐めろよ。それくらいおっさんわかってんだろ?
  まだあんたに逝かれると困るんでな…。」


 吸殻を灰皿代わりの空き缶に投げ込み、立ち去ろうとしたリョウの背中に
 男は謝礼代わりの声をかける。

 
 「リョウちゃん、そんなことより酒くれよ、
  いつも飲み歩いてんだろ…。
  それから香ちゃんに宜しく言っといてくれ、
  この前差し入れくれたんだ。
  夏だからって酢が良く効いたちらし寿司の握り飯、
  ここらの奴、皆に配ってくれてたんだよ。美味かったってさ。
  あんな天使みたいな子、惚れてる奴いっぱいいるのに、
  当のお姫さまだけが、気が付いて無いんだよなぁ…。」


 ぴたりと足取りが止まり、
 そのまま振り返らずにリョウは言い放った。


 「それをオレが先に知ってたら、あんた、今、其処に居ないよ。」


 くつくつと男は哂いながら、
 リョウの苛烈な夏の暑さにも等しい感情を
 垣間見れたことの優越感に浸る。


 「あーあ、リョウちゃん、
  夏だからって頭に血が上るの早すぎだよ。
  姫さんのところへ行ってきな。」
 

 リョウは背で片手を挙げると東口方向へ密やかに歩を進め、
 その姿は即座に陽炎と消える。


 瞬間とも言えなくは無い、数刻の中で
 男たちは一度も視線を合わせることは無かった。








  
 





  
---------------------------------------------------------------

060809

L'estate d'inferno citta'=The summer of Hell City
なつはあせくさいのが、ウホッ・クオリティ


Copyright 2007 Shino Inno Some rights reserved.

powered by HTML DWARF