no.3 伝言
unbalance(アンバランス/やじろべえ)
河のごとくに
奔流の向かう末が定められているのならば
情報を掬うために寄る岸辺は分かりきっている。
しかし現実はそうではない。
ゴールデン街の奥の奥、
自分の金髪碧眼も暗闇に紛れるような
光の差さない裏路地の酒場、
隣で酒盃を傾ける元パートナー。
用心を切らさないことは、時に臆病とも言い換えられて
危機意識を途切れさせずに
周囲に神経を張り巡らせるその態度は
草食動物のそれでありながら、
攻撃を仕掛けられて見せる獣の牙はギラリと一閃する。
全く、どこに居ても根本は変わらん。
コイツの底は見えないな。
フリーランスライター、海外誌の現地駐在員の職を得て
カズエと居を構えてからも
結局はそれのみで食べていけるわけでも無く、
過去とすっぱりと断ち切れるわけでもない。
自分の得た知識と人脈が、思わぬところで身を助ける。
それは諸刃同然で、情報屋として矢面に立てば
確実に自分が追い詰められる。
助けを求めるのはプライドに関わる。
自分の死と誰かの生が天秤なのだとしたら、喜んで首を捧げよう。
しかし、表通りに顔と名前を晒す人間となった今、
簡単に自分が死ねば済むことではなくなる。
猛禽がオレのたった一言で目を覚ます。
カズエが泣くのを見たく無いからと、軟派師の台詞を吐きながら
オレが自ら招いた窮地をヤツは見事に実力回避した。
礼の祝杯にヤツが望むものは
カワユイおねえちゃんの居る場所での乱痴気騒ぎではない。
それを知るのはカオリでもなく、冴子でもなく、オレだ。
「…なあ、何故アメリカを去ることにしたんだ」
「ミック、お前こそどうしてこんな新宿に居つくことにしたんだよ」
「そりゃ、まだあちらにはテオーペの残党の皆様が居るしな。
お前もオレも、戻れば即座にフィエスタが始まるぜ?
そんな簡単に、何かが終わるわけじゃない。怨恨は続くのさ」
「まあ、な。」
パートナーとして全米中を転々としていた頃
ヤツは行く先々の酒場の女に惚れられまくっては
ふいと所在をくらますことが当たり前だった。
その尻拭いもオレがした。
(と、いうのはヤッカミで、美味しく戴いたことも何度もある)
その度にオレは女からヤツへの
恨み言とも、強烈な愛情とも、どちらとも受け取れるような、
ステキなメッセージを預かっていた。
『愛しているわ』は当たり前、『殺してやる』も聞き飽きた。
そのどれもをヤツの耳にこってりと叩き込み、
ヤツはそれを聞く度に、
無表情で「次の依頼の場所はどこだ」と移動をせがんだ。
強烈な愛情を女から捧げられるほど、逃げるヤツ。
オレの前での”静”と、女の前での”動”は、
どれほどの差があるのだろうか、と
その手腕に同じ軟派男ながら、惚れ惚れすることがある。
「おまえ、逃げなくなったんだな」
「はぁ?」
「カオリはお前にとって、どんな存在なんだ」
「あぁん?ミック、悪酔いしてんのかよ?」
「お前が通り過ぎてきた女たちを思い出してんだよ、
どれだけオレが迷惑したことか…」
「…お前…本気でそれ言ってるのか…?」
「だから、カオリを何故オレ・・・がぁぁっ!!」
重たいパンチをいきなり腹に叩き込まれる。
こと、カオリの事に関しては、冗談がきかない。
そんなことも在米中には考えられなかったことで、
その腹の痛みが面白いくらいに、ヤツの本音を伝えてくる。
「槇村からの伝言だ、香を頼む、とな」
「っは!どんな女のメッセージも届かなかったお前のくせに
男からの伝言はハラワタまで刺さるのか」
「…たとえお前だろうと、槇村をけなす言葉は言わせない」
「違うだろう!お前はその言葉を
カオリと自分のカスガイにしているだけだ」
「何故そう思う」
「お前は本来なら誰の頼みも聞かないからさ、
特に情を交わした女には非情なくらい逃げ回っただろうが
だから、カオリに手を出せないのか?」
女を巡る言葉の中で、ふと、
オレは亡くなったマキムラへの対抗心があることに気が付く。
愕然としながらヤツの顔を見る。
「…なあ、もしも、オレが今回のようなことで
命を落とすことがあったら…」
「カズエちゃんはまかせろ…とでも言うと?こんな場所で?」
普段、本音を誰に対してもさらけ出すことの無いオレも
ヤツに助けられたことで弱気になっていたらしい。
上機嫌に女性の前で振舞うポーカーフェイスは通用しない。
ヤツは冷たい一瞥を払った。
「男の依頼は受けねえ。パートナーの伝言なら別だ」
「オレは今でもお前のパートナーか?」
黙って元パートナーはグラスを傾ける。
氷がグラスに合わさり、まるで乾杯のような音色を出す。
答えは無い。
無言で笑みを浮かべるヤツの口元に、内心を見た。
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060827
cin-cin!は乾杯の音頭
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