コマ劇場の前を走りぬけ
渋滞するタクシーの光の列を見ながらさらに駆け続け
たくさんの人にぶつかりながら、謝ることもせず
喧騒から逃れるように、高層ビル街へと足を向ける。
日ごろの運動不足がたたって息が上がり、眩暈が始まる。
春とはいえ、まだ寒い夜半の都会の夜、冷たい空気が手先を冷やす。
息を整えた後、とぼとぼと都庁を目指して歩いてみる。
携帯を手に持ち、メール着信を確認するとさらに10件。
”心配だ”
”メールも通じないような場所が東京にもあるのか?”
”母さんも父さんも寝ないで待っているから連絡を寄越しなさい”
この束縛。
逃れたくてたまらないのに、こんなときは無性にすがりたくなる。
『…もしもし?
うん、泣かないでよ。心配かけてごめん。
ほんとにつながらなかっただけから。
今、表に出てきて確認したらさ
一気にお母さんたちからのメールがきたよ、あはは。
周り?誰もいないよ。ひとりで帰れるし。
うん、宿は歩いて5分くらい。
人目もあるし明るいところだから大丈夫だよ。
また部屋についたらメールするし。そしたら寝るから。
安心して。』
電話を閉じると、耳には何も聞こえない。
かすかに聞こえる車の流れる音。
目の前には都庁ビル。見回しても、誰も居ない。
ピカピカと赤に光る誘導灯、広場を照らす蛍光灯の白い明かり。
遠くに見える公園の、
黒くざわざわと葉を揺らす木々の傍には近寄れない。
闇に引きずり込まれそう。
怖い。怖いよ。
こんなに人の手で作られたものしかない場所なのに
人の気配が無い、こんな都会は怖い。
寄るすべがホテルしかない私には、
そこを目指して駆け出すしか出来なかった。
見覚えのあるホテル名の
明るい看板が見えてくるまで、鼓動の激しさを無視して私は走った。
ゼイゼイと息を切らしながら部屋番号を伝える私に、
フロントのホテルマンは無表情でキーを渡した。
ドアを開け、鍵を即座に下ろし、
備え付けの小椅子に腰を落として、やっと私は安堵の息を吐く。
目の前にあるペットボトルの水を口に含む。
ぬるく、口の中を潤し、喉を通ってゆくその液体が教えることは
空腹だった。
「はっ…運動すりゃ、おなかはへる、ってね…」
朝食用にと買っておいた、1個しかないおにぎりの封を開ける。
地元スーパーで買えば100円のそれが、
東京のコンビニじゃ130円。
何の違いも無いそれが、どうして同じ価値で売られないの?
ごはんが冷たくても香ってくる海苔の匂いに食欲が刺激され、
口を開けてむさぼりつく。
息をつかず全部を腹に収めると、
コートも脱がずに食べた自分に意識が戻る。
のろのろとコートから携帯を取り出し、
自分の意思でうまく動かない指を繰る。
いつもの冷たい調子など、この心では書くことすら出来ない。
『さっきホテルについて、お風呂も入って寝るところ。
明日は午前中一杯また会議だから、ここを7時には出ちゃう。
午後の新幹線で帰るからね。』
本当はチェックアウトタイムぎりぎりまで寝るつもり。
これは嘘じゃない。
ここに居て、女を堪能しようとして失敗した私こそが、幻想。
さえない格好をして眼鏡をかけ
都会の空気にびくびくしながら
用件だけを済ませ逃げ帰る自分が、本当の私。
男が私を相手にしないのもしょうがない
歌舞伎町は幻想の黄金郷、
献金をしない人間は構ってもらう資格も無い。
弱い心のまま惹かれ、一人で歩むには、罠の多い場所。
小ざかしく用心深い、罠にもかかる勇気の無い人間には
居場所の無い、電飾の街。
だけど、そこにある、素敵な幻想は今も私を強く惹き付ける。
入れてもらえない圧倒的な違和感があるからこそ、
私はそこに、つかの間の自由を見つける。
まるで重力が変わってしまったように、身体が重く感じる。
だらだら衣服を脱ぎ捨てると、
コトン、と渡せなかった4枚目のカードが落ちる。
『宿泊先:○○ビジネスホテル Room No.3341』
毎年、新宿にくる度に、毎回ホスト君たちに渡し続けた同じ文面。
このビジネスホテルの安っぽさは、すでに周知されている。
部屋番号が変わるだけ。
そして一度たりとも、彼らは部屋にくることなど無かった。
金を搾り取れるだけの利益の無い女など、抱いてももらえない。
逆に地雷を踏むようなものだと、年下の男たちは分かっている。
それでも、私は渡し続ける、私自身を。
ふと思い返す、あの二人の会話。
「あんたの誕生日だから・・・」
「割引セールのメイン食材・・・」
「たまには丸いケーキ・・・」
「・・・いっつも、すごい、じゃん・・・」
今頃彼らは、つましくとも、
二人きりの暖かい夕食と、熱い抱擁を交わしているのだろう。
私が自分に与えてあげたいプレゼントはきっと、そんなものなんだ。
なぜ私は得られないのだろう?
欲しいモノなんて「モノ」じゃないのに。
簡単なはずなのに。
今日のために奮発して買い、
身に着けた豪奢なランジェリーに包まれた肌に手を伸ばす
冷たく、かさつき、緩んだ身体は、私自身の手入れを怠った結果。
数時間のエステでは、すぐに元通りになってしまう体。
誰もふれようとしないその秘めた場所に手を伸ばす。
乾いたままのそこを、優しくなでて行く。
あの男はどうやって彼女に触れるのだろう
あの男はどうやって彼女を慈しむのだろう
彼女はどんな風に男を愛するのだろう
ふたりはどんな風に交わるのだろう
そしてどれくらい長い間、
ひとつに重なったまま愛し合うのだろう
永遠に分かることなど出来ない、
私には答えが与えられない疑問を抱いたまま
私は泣きながら、
サミシイと自慰をした。
煙草の残り本数は、後2本。
いつ吸うべきか、どこで吸うべきか。
来年の誕生日に、私はまた、同じことをするのだろうか。
新宿の高層ビルの灯かりが、
電気を消した部屋の中にも寒々しく満ちていた。
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えらい暗い話なんだけど書いた日付は06/03/31
リョウさんへのお誕生日祝いとして書きました