no.21 夜這い

Meal, Ready-to-Eat(MRE/戦闘糧食)

 
 深夜2時半、暑い夏の夜。
 冴羽アパートは全館が蒸し風呂のようになっている。
 テレビでやっていたヒートアイランド現象を抑えるべく
 香が屋上に打ち水をした、プランターを作っただのと
 ぺちゃくちゃ喋るのを聞いたのは、
 依頼人とお茶をした午後の昼下がりだったか。


 それよりも目下の懸案材料は
 香が依頼人を守るため、と称して張り巡らせた
 罠のバラエティがどのように展開されているか、だ。


 自室のドアを開ける。
 目前に広がる、静寂の熱い、重い空気。

 


 _ Flashback! _
 


 火薬の湿り気を確認する時間は無いんだ、と
 それが杞憂になるべく祈りを天に捧げながら
 星明りの下で姿勢を低くしたまま
 目前をノクトヴィジョンで探る。

 それしかないから着るしかなかった
 軍の払い下げの擦り切れた服は重く、
 身体から噴き出す汗でべっとりと自分に貼りつく。

 
 「Bonito muchacho,No hable! Vaya a adelante!」
 (坊主、しゃべんなよ、前に進め!)


 すべてを強奪/略奪から賄うゲリラの村で
 RACION INDIVIDUAL DE COMBATE と書かれた
 軍の携帯食料は生命線のひとつとなる。
 それを奪うために、軍の駐屯地にやってきた俺自身が
 空腹で腹を鳴らした。

 
 その音を聞きとがめた仲間がナイフを俺の腕に滑らせる。
 流れる血で神経が急激に引き絞られ、緊張は更に増す。


 周囲は地雷原。
 足の踏み場をひとつ間違えれば、
 そのコストは命か、手足か、胴体か。

 
 食い物が欲しい。
 ただそれだけの一心で、最年少の斥候は命を賭ける。
 後方に控える仲間は、自分の辿る道が正答である時だけ
 バックアップをするが、ひとたび間違えれば
 己を守るものなど霧散する。信じるのは直感のみ。


 一歩を踏み出した。震えはもう来ない。




 _ clap! _ 



 足元で軋む床の音で正気に戻る。

 今、俺を動かすレーションは、女の柔肌に過ぎない。
 だが、極上の食べ物であることは間違いが無い。
 赤く色づく唇を貪り
 手に余るほどの乳房の柔らかさと弾力を想像し
 自分を包み込む肉の熱さを欲して何が悪い。


 命を賭して手に入れた缶詰を開ける瞬間
 何故だか酷く勃起していたのを思い出す。

 

 俺にとっての夜這いは
 あの日のノクトヴィジョンの先にあった、
 恐怖と達成感の代償行為なのだとしたら
 随分と天国のような日々を過ごしているのだと
 内心苦笑せざるを得ない。


 熟睡した幼いパートナーの
 「依頼人を守るため」の作為を避けるのは
 本当は難しいことではない。


 正直、本気を出さずとも、刹那の間合いで
 依頼人を俺の部屋に引きずり込んでしまうのは簡単。
 即座に喉元に喰らいついて、
 離さずに抱き込んでしまえば、
 大抵の草食動物は戦闘の意欲を消失させる。


 アイツを起こさずに依頼人の肌に触れて
 有無を言わさず女を落とすこと…。


 緊張と奇襲の日々を過ごした
 俺の記憶が自分を硬化させる。
 安寧の空気に慣れすぎる自分を
 苛立ちと共に自覚する。

 

 そんなときは眠れやしない。

 





  
---------------------------------------------------------------
060628

香嬢のトラップを避けないのは愛だけにあらず







Copyright 2007 Shino Inno Some rights reserved.

powered by HTML DWARF