no.1 新宿

Beyond Belief (正論なぞ、わかるもんか)

 
 亜熱帯特有の湿った粘度の高い空気が
 首の周りにまとわり付き、肌からジワリと
 汗が吹き出るのを感じる。

 深く緑をたたえ青臭い精に満ちた木々に
 カモフラージュされた村では
 煮炊きに盛大に火を用いることはほとんど無い。
 湯を沸かす程度しか、
 調理に知識も熱意も持たぬ男たちの集まりでは
 ”この植物の実は食えるかどうか”くらいが関の山。
  

 何年前からあるのか定かではない、
 修理を繰り返された、信頼度の滅法低い発電装置から
 繰り出される電力でまかなう夜間照明は、
 重要な場所でのみ使われる。
 数少ない照明が配置されている火薬庫での
 薄暗い明かりの中で弾薬カウントに集中していると、
 背中にカイバラと仲間から呼ばれる、オヤジの気配を感じる。


 ふうらりと立ち、
 手に持つ酒瓶が甘い独特の臭気を放ち、ラムだと分かる。


 オレはコーヒーが飲みたい、と思いながら、
 自分に語りかけるでも無く
 背を見つめるオヤジの視線を背中に受けつつ
 作業は止めない。


 ベースキャンプから前線に出させてもらっても、
 実戦にはまだ早いと判断され、
 後方支援のままの己の立場が情けない。

 オレの教育係としても周囲から一任されているオヤジは
 からかわれた憤りのまま、仲間に素手勝負を仕掛けた俺に
 逆に血反吐では済まされないほどの
 肉体的な痛手を負わせた。
 

 先ほど起こったそのことが思い出され、
 何も語り掛けないのに傍にいようとするオヤジに
 無性に腹立たしさを感じる。

 
 カウントする手が止まる。
 もう冷静に数を数えることができない。


 「…!! Por que !?」(…なんでだよっ!?)


 「…リョウ。黙って聞け。」


 拾われた当初、子供服に縫い付けられていた
 「りょう」の文字から、オレはかろうじて
 japones(ハポネス)であることだけは定められていた。
 だからこそ、なるべく二人きりのときは、
 オレとは殊更日本語で話す。
 それはオヤジなりの
 オレのアイデンティティへの配慮だったのだろう。


 「オレが何故ココにいるか、お前に伝えたことは無かったな。」


 それは長いオヤジの回顧録でもあり、
 歩んだ思想の道筋でもあった。
 

 「憤りで行動するのは浅はかだ。
 ましてや我々がいる場所は平和な戦後日本ではない。
 私はここにブレインとして雇われた。
 理念の達成、自由の獲得のためにどのような意味を
 この戦いで持たせるべきか、それを”戦略という言葉”で
 表現することを求められているのが私だ。

 だが、終わりの見えぬ権力闘争の中で
 何が正しいのか正直わからない。

 私はお前に、此処で生き抜くための
 知識と方法を授けたつもりでいる。
 お前はまだ、好奇心だけで行動をしようとしている。

 この戦いで流される血の濃さと重さへの敬意を
 払えない人間は、この場所で野垂れ死にするだけだ。



 

 
 お前には、せめていつの日か、

 お前が生を享けた地を見る機会が

 死ぬ前にあると良いと考えている…。

 



 
 だから、お前に、こんな場所においてですらも、
 私はなるべく危険から遠ざけたい。
 矛盾はわかっているが、他人がお前を傷つける位なら
 オレがお前を死の淵まで連れて行き、
 そして必ず取り戻す。


 この場所で生きる、お前が納得できる真っ当な意味を考えろ。
 それを得たとき、私はお前を喜んで死地へ出す。
 帰ってきたときの報酬は
 その意味の分だけに見合うものになるだろう。


 本を読め。できる限り古典を読め。
 そして生の意味を考えろ。

 殺戮に快楽を見出す心無き者にはなるな。

 聖書は世界中で読まれている、この国でも信仰されている。
 お前の周囲にいる人間の考え方の基本に
 少なからず影響しているものだ。
 仲間内には聖書を持っている人間がたくさんいるから、
 そいつらに借りろ。そしてまずは読むんだ。判断しろ。
 心のよすべにするかどうかは、お前次第だ」



 ラムをラッパ飲みしながらの語りに酔い、
 足取りはノシリと重くオヤジは武器庫から出て行った。
 飲まずには言えなかったのであろう、
 オヤジの心中の吐露は
 少なからずオレの心に深く刺さった。
  
 
 オヤジの生家があったという
 シンジュクの風景を思い浮かべようとする。
   

 眼の裏側には、何も浮かばない。
 暗闇と、己の身体が上げる悲鳴のごとき痛みと、
 粘ついた汗の匂い。

   
 そこでは
 この国にあるような十字架を掲げた建物はあるのだろうか?

 砲撃の音に体をこわばらせる事無く安眠出来る場所なのだろうか?
 
 ラムの甘ったるい香りと音楽に満ちた
 ひと時の幸福を提供し猥雑で絢爛だと仲間が言う、
 この国のような酒場はあるんだろうか?

  
 終わりの見えぬ、血と埃と緊張に満ちた地獄から
 天を仰ぎ見るような心地でシンジュクに思いを馳せる。

 
 オレの生の意味など、今はわかるはずも無い。
 人を殺したこともない、
 半人前の訓練中のゲリラのオレにとっては
 「生き延びて何時かオヤジの故郷を見る」ことが
 目標だと言ったらオヤジはなんと思うのだろうか。
 

 ふと扉の先にコーヒーの芳しい香りを感じる。
 言葉の厳しさの裏側にある、オヤジの行動の優しさのみを信じて
 オレはまた弾薬を数え始めた。

 

  
 





  
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060728
This short story dedicated to Ms.C
for her Birthday

I always thank you
about encouragement that you gave me.


弾薬ころころどんぐりこー


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