albums (9/21)


「・・・サエコ・・・」


背後からかかる小さな声。
私を呼ぶ香螢ちゃんの気配に、まるで私は気がつかなかった。
自分でも滑稽なほど、びくりと肩を震わせて
とりあえず手で涙を拭ってから、彼女に向き合う。


「なあに?ゴミ袋見つかった?」


平静を取り繕うにしても、いつもの自分には即座に戻れない。
聡い子なのだろうから、香螢ちゃんはすぐに気がついた。


「サエコ、なぜ泣く。
 私、パーパと出会ったとき、自分の目から水が出た。
 それが涙で、泣くということだと教えてもらった。
 なぜ、ひとは泣く。分からない。
 でも、泣くのは、きっと、いいこと。
 だから、サエコ、泣くのをやめるな」


「香螢ちゃん、ひとがどうして泣くか知りたい?」


「わからない でも サエコが泣くと 何だか 変な気持ちになる」


私が泣くと変な気持ちになる?
確かにリョウは人前で涙を見せたことなど無いだろう。
この数日で彼女は幾人の人間が涙を流したところを見たのだろう?


どうして彼女は、私に涙を流すことをやめるなというの?


「私が泣くと、香螢ちゃんが変な気持ちになる?」


「サエコ、私と何も関係が無いのに良くしてくれる。
 警察署長で忙しいのにいろいろなことを教えてくれる。
 だからといって私に何かをしろ、と命令するわけじゃない。
 リョウパーパと香マーマとサエコはどんな関係だったんだ?」



どんな関係・・・。
彼女に分かりやすいように説明するのは難しい。
ましてや、槇村を含めた私たちの関係を
上手く伝えられるのかどうか自信が無い。
言葉にしないからこそ、成立するものもあるはず。


今の私の感情は抑制が効かなくなっている。
そんなことを遠くで私自身が思う。
関係性から状況への理解を求める彼女を納得させ、
そして上手く自分が「逃げる」方法を考えなくては・・・。


私もリョウのことをどうこう言っては居られない。
自分の気持ちに直接跳ね返るような重大な疑問の返答を
相手にわかりやすく言葉で説明するのは、大変な精神力が居る。


世界への理解を急ぐ、
生まれたばかりの子どものような彼女に対して
ミスリーディングしないことを優先しようとしてしまう。
精一杯の大人の知恵を使って小手先でごまかそうとしている。
嘘はいわないけれど、理だけを飲み込ませてしまいたい。


みんな、いくつになっても、心の中に子どもが居る。
それは病理ではない、普通のことだ。
その子どもの訴えを無視してはいけない。
リョウのインナーチャイルドは、
決して誰にも助けを求めなかった。
そして、自分なりの推論を実証しようと決めるまで
誰の言葉も聞かなかった。


泣いてしまったことで、心の喫水線はとうに超えた。


考える時間を稼ぐため、先にベッドメイキングをしてしまう。
自分でも触れることが出来なくなってしまった
シーツなどを香螢ちゃんに交換させ、
今晩からはきちんと毛布の間に入って眠るようにと諭した。



あらかた処分せねばならないものをまとめ、
部屋中を通り抜ける風が少しずつ、
香さんを天空に運んでいく。

ちょっと見には、何も変わることなく
家具もモノも全てがそこにあるのに
私たちが入ってしまったこの部屋に、
以前の面影は既になくなっている。それだけを感じる。


寂しい。


行動で整理をつけていくということに
向き合えないリョウを、もう責めることは出来ない。
誰かがやらなければならないことだけれども
拭いようの無い惜別の思いが、私の口から「説明」を遠ざける。


納棺のときも
納骨のときも
感じる暇がなかった


こんな気持ちを
なぜ、目の前の少女に説明しなくてはならないのだろう?
これは、私だけの気持ちで
誰とも共有しなくていいはずの気持ち。



また、苛立ちが腹の底にぽつりと灯る。



だが、すべきことを終え、
後は私の言葉を聞くだけとなった香螢ちゃんのまなざしは
迷うことなく私を見つめている。


たとえていうならば
鳥の雛のごとく
慕うべきものをきちりと定めたまなざし。


私はこの目線から逃げるわけにはいかない。
彼女は私から得られる言葉を
いまかいまかと待っている。


新しい生活に踏み出した15歳の女の子の
これから先に、楽しさをも
悲しみの中で同時に感じてしまう私だから。


選択の結果、悔やむことは無いと今は確信していても
この先望むべくもない自分の子どもの物語を
彼女に重ねて見てしまうだろうと予感するから。


それだけは、分かるから。


様々な感情がない交ぜになったまま、目をさまよわせる。
ふと、本棚に視線が引き付けられる。



私も開いたことの無い、アルバムが目に映った。









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