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納骨を済ませ、四十九日が過ぎても
あの男は恐らく家から一歩も出ていないと
喫茶店に立ち寄って次第を聞けば、店主ファルコンが呟く。


「Falcon! You can't ...no! You MUST NOT leave him alone!」
 (ファルコン!あなた、彼を一人にしておけるの・・・
 いいえ!!放っておいてはいけないわよ!)


「…easy, Saeko, stay cool...I know what you feel for.
 (冴子、落ち着け、お前が何を考えているかは分かっている。)
 仕入れに行くついでに、玄関先へ
 ポットに入れたコーヒーと皿を置いていくんだが、
 翌日寄れば空になっているんだ。
 とりあえず食っている間はオレは何もせん。
 ドアをぶち開けるのは簡単だが、オレにはそれはできん」


食べている。
とりあえず気力まで萎えたわけじゃない。


最初の一言を聞いた瞬間、
憤りのまま、彼の母国語で怒鳴りつけ
立ち上がってカウンターをばしりと殴りつけた
自分の手の痛みが身体に立ち昇って、
力が抜けたように椅子に座りなおす。



ともすれば二の足を踏む心に喝を入れて、
何度訪ねても、
彼はドアを開けることが無かった。




香さんは依頼のたびに、自分を家に招くことを望んだ。


”キャッツでコーヒーを飲むのも良いけど、
 ウチで飲んだ方が安いし、それに、聞かれちゃまずいことも
 色々あるだろうし、冴子さん、良かったらウチへ来て?”


香さんは季節ごとのイベントや、誰かの誕生日をとても大事にした。


”ねえ冴子さん!キリエのマスターが誕生日なんだって!
 お店休むっていうから、ウチでご飯食べようってなったの!
 良かったら冴子さんも来てくれない?何かねえ、い〜いお酒、
 たっか〜いお酒、手土産にしてくれるらしいよ?
 みんなで飲んだ方が楽しいから、忙しいかもしれないけれど
 遅くなっても来てくれたら嬉しいな!”


冷たい鉄板のドア、向こう側にはいつも、香さんの笑顔があった。


ノブに手をかけただけで、
その先の暖かさを体が感じて
思わずつんのめりそうになる勢いで開けたことも何度かある。

彼女が居る空間に行くと
深刻な依頼の内容はともかくとして、
私はとても心地よかったことを思い出す。





同じドアなのに
何故こうも分厚く固く凍り付いているのか…
踏み込めぬ荒涼の気配だけが、強く私を拒絶する。
そっとドアに額を押し当て、彼の気配を感じるために強く集中する。



「あの看護師の妹ちゃんが泣くの、オレ見たくないしぃ」



槇村は私に、アイツをパートナーにした理由は
彼がそう語ったからだ、と良くわからない一言を漏らして続けた。


”いつかアイツは、香と・・・?
 いやぁ、どうなんだろう・・・困ったなあ・・・”


破顔一笑、
あんな”困っていない”槇村の笑顔、忘れられない。
もう、あのときからあなたは予感していたのね。


身元不詳、国籍不明、
たくさんの偽名を使いこなしていたあの男に
たったひとつの名前を授けたのは香さん。
生きる場所と彼自身の能力を活かす場を与えたのは槇村。


父と母にも匹敵するような
更にそれを超えるものを抱いていただろう、大切な存在。
彼自身を支えていた、生きがいの全てを失った今、
私が考えているより以上に彼の絶望は深い。


自分を自分と定め、認めてくれる誰かと
ただ穏やかで暖かな生活を育むことが彼の求める全てだとしたら。


孤独を経てぬくもりを得た者は、失うことに極端に臆病になる。


それを奪った者が
自分の過去やしてきたことに由来するものならば
いくらでも彼は牙を剥き、死神となって復讐を遂げるだろう。
そしてそれは、私にとっても同様の思いとなって
彼を制止することも無い、紅蓮の炎としてバックアップする。


だがしかし
香さんはあくまで、香さんのままで逝った。
子どもを助けるために、自らの命を差し出した。
その後、彼に出来ることはひとつも無い。
彼女の正義を貫き通し、
彼女は兄と同じ精神を持って行動したのだから。


私だって同じ事をするはず。
誰の子どもであろうと、守るべきものが危機に晒されれば
そこには理性や無関心など差し挟まれることの無い
「ひと」としての本能が身体を動かしてしまう。
未来を託す、子どもたちのために。


そして、今を生きる
アダルトチルドレンは心の扉を固く閉ざす。






御苑の噴水に子どもたちの歓声が響いても、

西口のバスロータリーでひぐらしが鳴いても、

東口アルタ前を闊歩する人々の服装が長袖になっても



私は休日のたびに彼の元を訪れた。
無言の返答。
今、彼の心を癒すものは、私ではない。


けれど、私は、訪れることをやめなかった。

あなたを心配している。
あなたに会いに来ている。
あなたの顔を見たい。


たとえ報われなくとも、伝わらなくとも
行動で彼に私の思いを示すことが、そのときは大事だと思っていた。






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