albums (19/21)
瞼の上に、光を感じて目を開ける。
窓の外の空からは薄暮の橙が感じられ
随分と長い時間、私は深く眠っていた。
頭の後ろに感じる、細い太腿。
強靭なバネのごとき筋肉を、服越しにからも感じる。
鍛え上げられた身体に、ひととしてのピースが欠けている心。
だけど、どれだけの時間、私を膝枕していたのだろう。
私を支えていたのだろう。
ゆっくりと一息つき、
鈍器が詰め込まれたように重い頭を起こそうとしたとき、
上から切羽詰った声がかかった。
「サエコ、起きたか。
突然昏倒したから、そのまま脈が止まるかと思った
サエコが死ぬのは怖い。ずっと見ていた」
「大丈夫よ、ありがとう」
「サエコ、サエコ!よかった!」
ぱたぱたと頬に感じる水滴。
香螢ちゃんが私のために、涙を流している。
「あれ・・・。私、また泣いている。何故だ。
サエコが起きてよかったと思っているのに、なぜ涙が出る?
泣くって何なんだ・・・わからない・・・わからないけれど
我慢できない・・・」
彼女が感じ、言葉にする思い。
心の柔らかさに、香さんの幻が私に伝えたこと、
私が聞きたかったものが重なっていく。
独りよがりでもいい。
彼女に何かが伝わるうちは、何も考えずに香螢ちゃんを導こう。
パズルのピースはいくつあるか分からないけれど、
ひとつひとつ、はめていけば、また新しい絵画が目の前に広がる。
置き去りにされたと思った気持ちの中で
香螢ちゃんから貰った、
暖かなぬくもりを、私はこの先、忘れることは無い。
「我慢しなくてもいいのよ。
さっきあなたが私に言ってくれたでしょう?
泣くのはいいこと、泣きたいときは、止めちゃいけないの」
「サエコ、サエコが気を失っている間、ずっと写真を見つめていた。
サエコにとって、槇村伯父と香マーマは、仲間だったのか?
私にとっての信宏が、
明日の朝日を一緒に見る大事な仲間のように
サエコがあんなに綺麗な笑顔で笑いあえる、仲間を失ったのか」
まだ、ひととしても歩き始めたばかりの子に
女性としての理解を求めるのは早すぎる。
槇村と私の間にあった関係は、
お互いに確証など一言も口に出さない、タイトロープの上にあった。
その男女の按配を、彼女がいつか自分の中で感じるときに
伝えたとしても、遅くは無いだろう。
「そうよ。大事な仲間だったの
二度とあんな人たちにはめぐり合えないと思ってしまうくらい、
大切な人たちだったの」
ぐっと唇を噛み締め、真剣な眼差しで彼女は何かを考える。
相手が口を開くまで、私は沈黙の中に身を置いた。
何度も頭をかしげ、視線を泳がせ
知識として持つ語彙を急激な速度で組み立てては捨てる。
容易に想像の付くような、香螢ちゃんの頭の中。
とうとう決めたのか、私を見つめて彼女は言葉を発す。
「サエコ、香マーマは私の中にいる。
・・・サエコ、それで、わたしは、
一緒に笑える、サエコの仲間にはなれないのか?」
必死に手を差し伸べる香さんの赤ちゃん時代の写真が蘇る。
また再び泣きだしてしまいそうな、
けれど勇気を振り絞って、
言葉という手を私に向かって届けてきている香螢ちゃん。
こんなにも求められて、拒絶できるひとが居るだろうか。
無言で、香螢ちゃんを抱きしめ返す。
私が抱きしめられたより強く、
細い彼女の体全部を包み込むように。
そっと戸惑いながら、彼女の手が私の背に回される。
好きなようにしていいのよ、と
言葉に出す代わりに、もっと強く抱きしめる。
10本の華奢な指が、私の背中に強く食い込む。
あなたが感じられる私の身体を、どんな風に取り込んでもいい。
いま、あなたはひとりじゃないし、わたしも、ひとりではない。
それを素直に受け入れてしまうと、
私だけの記憶の中にある
香さんの笑顔が、より濃く心に刻まれるのが分かった。
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